映画『ミッション:8ミニッツ』が面白すぎた件

BSプレミアムでやってたのを録画して半年くらい放置してたんですけど、HDDを占領しているのが邪魔だったんで、そろそろ片付けようかなと思って視聴しました。聞いたことない映画で、あんまり期待してなかったんですけど、いや面白かった!簡単に説明すると、これはタイムループを描いた映画で、軍に所属する主人公が、軍で開発された高度な装置を使って、列車爆破テロの犯人を探すというのが主な筋書です。どうやって列車爆破テロの犯人を探すかというと、列車爆破テロの犠牲者となった人の脳にアクセスして、その記憶の中から捜索をするんです。列車が爆発する直前の8分間を何度も何度も捜索して、そして何度も何度も死ぬという。オールユーニードイズキルなどにも少し似てますね。まあ、この手のプロットは割とあるんですが。タイムループものの爽快だと思う点は、主人公の動きの無駄がどんどん削ぎ落とされていき、成長していくところですね。また、平行世界について描かれるのも考えさせられて良い。あと、主人公が大胆な行動をしても気にならないところですね。どうせループするんだから、どうなったってええわの精神というか。主人公の捜索方法が結構雑なんですよね(笑)いきなり乗客の鞄をひっくり返して携帯探し始めたりして。主人公は最終的には列車爆破テロの犯人をつきとめて、そして列車爆破テロを防ぐことにも成功します。しかし、これはあくまで犠牲者となった人の脳の...

東浩紀の『一般意思2.0』を読んで

自分は、本をただ読むことにそんなに意味があるとは思っていない。重要なのは『読むこと』ではなく、『読んで、それに対して何を思うのか』であると思っている。なので、ところどころに引用を挟みながら、それに対しての感想を書き連ねていきたいと思う。現代社会はあまりに複雑で、すべてを見通せる視線はもはや存在しない。それはすなわち、古典的な選良が存在しないことを意味している。いま「選良」と呼ばれる人々は、現実には特定の「業界」の専門家でしかない。彼らはその業界を離れれば、平凡な消費者、無見識な大衆の一員にすぎない。一流の政治学者が凡百なベストセラーやポップスに涙し、一流の経済学者がネット右翼と変わらぬ偏見を持ち、一流の数学者がじつに凡庸な国家観や家庭観を語ることは十分にありうる。実際にインターネットのようなソーシャルメディアは、かなりその身も蓋もない現実を暴いてしまっている。つまり現代においては、選良と大衆という人間集団の対立があるというよりは、ひとりの人間が、あるときは選良として、またあるときは大衆として社会と関わっていると理解したほうがよい。「大衆の欲望」は、その各人の大衆的な部分の集合として形作られている。それに加えて、選良が大衆を指導する、啓蒙するという構図そのものも問題を抱えている。その発想は現代にはそぐわない。それは、20世紀的な、いやむしろ19世紀的な単純な人間観に基づいているように...

共産党を支持する人って?

ずっと前から疑問に思っていたことがある。『共産党支持者は、共産主義者なのか?』ということだ。 まず、共産党の公式ホームページのQ&Aを見て、共産党の政策を確認したい。 Q:ホントに共産主義をめざしてるの?A:ハイ、めざしています。資本主義が未来永劫つづく制度だとは考えていないからです。 私たちのめざす共産主義社会は、旧ソ連や中国とはまったくちがいます。中国はまだ社会主義に到達してなどいません。専制政治に変質した旧ソ連はもちろん論外です。「人間の自由」を本格的に全面的に実現する社会、それが私たちがめざす共産主義です。 ただ、日本ですぐに共産主義にすすむ条件はありません。まずは、あまりにいびつな"ルールなき資本主義"をただす民主主義的な改革が当面の目標です。「こんどは共産党かな? でも...」というみなさんへ 共産党AtoZごらんください - 特集 これを見れば、共産党はその名の通り、共産主義を目指しているということになる。ならば、共産党支持者は皆、共産主義者なんだろうか?実はそうでもないんじゃないかと、個人的には思っている。共産党はその主義主張からして、自民党とは絶対に相容れない存在である。だから、「自民だけは何がなんでも嫌だ!」という人が、反自民の旗印として共産党に投票することもあるだろう。だが、それであっても、共産党を支持するのは、はっきり言ってありえない行為だと私は思...

ヒトラーが生まれなかったら、第二次大戦は起こらなかった?

ヒトラーという政治家を選んだのは紛れもないドイツ国民である。ヒトラーの思想に多くのドイツ国民は陶酔し、賛同した。では、なぜヒトラーは、ドイツ国民の民意を得られたのだろうか? 1928年のナチス党はわずか12議席だった。しかし、その後、ある出来事をきっかけにナチス党は大躍進をする。1929年10月24日「暗黒の木曜日」にニューヨーク株式市場の株価が大暴落した。世界恐慌である。その影響はドイツにも波及し、3人に1人が失業者という状況にまで追い込まれる。そして、1930年には107議席にまで一気に勢力を拡大する。ナチスの根本をなす思想は民族主義であった。「ゲルマン民族は世界で1番偉大で優秀な民族である」、と。自信を失いつつあったドイツ国民にとって、ヒトラー率いるナチス党の主張はとても気持ちの良いものに聞こえたであろう。そして、ドイツ国民の怒りの矛先は諸外国と、国内のマイノリティ人種に向かう... だが、このような民族主義は別に珍しいものではない。人は多かれ少なかれ、自分の所属する大きい枠組みにアイデンティティを求める。それは出身の町であったり、市であったり、県であったり、高校であったり、大学であったり、国であったり、人種であったりする。自分の立場が悪くなればなるほど、人はそういったものに縋るようになる。 元々極右政治家は存在していて、不況などが契機となって、そういった政治家にスポットライ...

言語の「正しさ」は何で決まる?

まず、言葉は何のためにあるのか。言わずともがな、コミュニケーションをとるためである。例えば、日常生活を送る中で『相手の手元にあるリモコンを渡して欲しい時』があったとする。そういう時我々は「リモコン取って」と言って、それを聞いた相手は手元にあるリモコンを渡すだろう。これは『リモコン』という名称のモノがこの二人の間で相互に認識が一致してるから成り立つやりとりなのである。極端な話、『リモコン』は別にリモコンという名称である必要はなく、『ああああ』でも『いいいい』でも構わないのだ。コミュニケーションを交わす相互の関係で認識が一致してさえいれば。 最近、言葉の誤用や読み間違いについての話題がよく挙がる。例えば『確信犯』という言葉。実は『悪いことであるとわかっていながらする犯罪』ではなく『信念に基づいて正しいことだと思い込んでする犯罪』が本当の意味である、とか。しかし、言葉の使い方が正しいとか間違っているとかって、誰が決めることなんだろうか? ここで一種の思考実験をしたい。元々、『正しい』意味で使われていた言葉があったとする。しかし、年月が経つにつれて、その言葉は『誤用』されることが増えて、最終的にはその言葉を『誤用』している人しか居なくなってしまったとする。そのとき、本当にその言葉の『正しい』意味を知っているあなたは、『正しい』言葉遣いをする必要があるだろうか? 相手が『誤用』をしているとき...

橋下VSマック赤坂について

録画してあった橋下羽鳥の番組を観た。今回はいつもとは少し趣向が異なり、橋下とゲストで一対一で討論を行うという企画のようだ。まず最初のゲストはマック赤坂。名前だけなら知っているが、実際にこういう対談などを見るのは初めてだったので、少し驚いた。まず、どういう政策を訴えているのか?とかそういう根本的なことすら知らなかったし。まず最初の議題は安全保障についてだった。マック赤坂の主張はこうだ。「そもそも自衛隊と日米安保は何の牽制にもなっていない。」「自衛隊も日米安保も必要ない。」「中国やロシアや北朝鮮が攻めてくることはない。」まあ、よくある護憲論者の主張だなあと思った。それに対しての橋下の反論はこうだ。「平成27年には航空自衛隊は873回もスクランブル発進をしている。もし自衛隊や日米安保がなくなれば、中国やロシアの戦艦が日本の領海を平気で行き来するようになるだろう。僕はそれは嫌だ。」「自衛隊と日米安保は抑止力になっている。」「『相互破壊確証』で均衡が保たれているのが今の国際社会の現状。」という、、、安全保障の討論になるとこのような流れはよくあるのだが、はっきり言って左派論客の分が悪いように思える。だいたい、軍隊やそれに準ずる組織を保持していない国が世界にどれだけあるのか?軍事的同盟を組んでいない国がどれだけあるのか?という話である。理想論を語るのなら、そりゃあ世界から軍隊は無くなった方がいい...

モノの価値は誰が決めるの?

モノの価格は何によって決まるのかご存知だろうか。それは、需要に対してどれだけの供給があるか?である。供給が少なくて需要が多いモノの価格は高くなり、供給が多くて需要が少ないモノの価格は安くなる。共産主義圏など一部の国ではこの法則は適用されてはいないが、少なくとも資本主義経済においては多くの場合でこの法則がまかり通っている。 "多くの場合で"ということは、この法則が当てはまらないケースもあるということだ。代表的なケースは『コンサートのチケット』などだろうか。 有名アーティストのコンサートのチケットなどは発売開始後数分で全てが売り切れてしまうケースもあるという。これはまさに需要と供給が釣り合っていないケースだろう。コンサートなどの座席の価格設定は主催者が決めることである。では、その価格設定を上げれば、その価格には手を出せないという人が出てきて、需要と供給が釣り合うようになるではないだろうか?じゃあ、なぜ主催者側はそうしないのか?いくつか理由を考えてみた。裕福でないファンにも来てもらいたいからあえて倍率を上げることで、チケットのプレミア感を演出したいからその他『裕福でないファンにも来てもらいたいから』というのは至極真っ当に聞こえる理由だろう。特に、若者などはそれほどお金を持っていないことが多い。コンサートのチケットの価格を釣り上げた結果、来場者の年齢層が高くなってしまうということも有りうる...

ブログサービスの違い

ブログサービスの違い、がどんなもんなのか気になったので、はてなブログの後継候補としてAmebaOwnd(アメーバ オウンド)に手を出してみました。はてなブログの何が不満だったのかというと、アプリでの挙動です。はい。読む側には関係のないことですけどね。書く方からすると、細かいところで結構ストレス溜まったりするんですよ。Amebaの方が良さげだったら、こっちに乗り換えたいと思います。追記AmebaOwndの方が良さげなんで、こっちに移行します。